松中信彦

ホークスの4番は小久保だった。
2003年
小久保がオープン戦の怪我で今期絶望になると松中が4番としてその穴を埋めることになった。開幕すると、スイングが堅く力をもって彼の打率はみるみる下がり、4番でゴロと三振の山を築いた。4月末に向えた西武ドーム3連戦を2連敗し松中は6番に下げられ4番には城島が入った。苦汁をなめた松中はそこから調子をあげていった。逆に調子を落としたのは城島
5月14日
3連敗で近鉄を向える3連戦目のゲームに松中は4番として復帰した。しかし、ナイトが大炎上し8-0でリードされ、ペナントの行方も傾いた。しかし、6回松中の死球から5番になった城島が久々の本塁打で8-2。続く7回も柴原から代打ネルソンがつなぎ井口がネルソンを返して8-4。9回、川崎井口松中城島が1アウトから連打で8-7。大道が城島を返し、ネルソンがポテンヒットでなんと8-0からの大逆転。
この日猛打賞で4番として息をふきかえした。
チームもここから7連勝。あっという間にペナントを近づけた


8月
そこには西武を完全につきはなす4番の姿があった。

試合数23
本塁打7
打点32
打率.405
全試合で出塁


11月
日本シリーズを制したホークスに届いた移籍のニュースはあまりに衝撃的なものだった。小久保巨人に無償トレード。真相は語られずに選手会は優勝旅行を放棄した。精神的支柱を務めた男の存在がいかに大きかったか、トレードに追い込んだ球団側の説明を求めて引き下がらない選手の怒りが証明している。 その後、宮崎でのキャンプの際に小久保が直接出向き、ホークス選手にいきさつが説明され解決したように思われている。ファンにはなにも説明なしでパレードを向えた。


2004年
連覇にむけてそこで松中はこう語っている。
「小久保さんがいなくなったからじゃお前が4番じゃないんですよね。もう今年は、ホークスの4番は松中だとみんなに信頼してもらうことが一番大事だと思います。」


3月27日
ホークス4番の挑戦がはじまった。私は覚悟して4番に座る彼は昨年の8月と同じものがみられると期待している。彼はひざの怪我を耐えながら責任を果たしたのだ。